真矢ミキさんには宝塚時代に伝説的なエピソードがすごいです。
どんな伝説だったのでしょうか?気になりますね。
宝塚での役は男役だったのでしょうか?そして同期は誰だったのでしょうね?
最近ではNHKの大河ドラマ『どうする家康』に出演されてました。
『どうする家康』での役柄は家康の正室である築山殿(瀬名:有村架純)の母「巴」の役です。
今回は宝塚出身の女優真矢ミキさんの気になる情報について宝塚時代の事も含めてお伝えいたします。
真矢ミキの宝塚時代での伝説がすごい!
真矢ミキさんの宝塚での成績は良くありませんでしたが、従来の宝塚の慣習にとらわれない斬新な考え方をもっていました。
男役の定番だった短髪のリーゼントから、長髪にしたり毛を伸ばしたり真っ赤な口紅をナチュラルな色に変えたりしました。
そんな発想がウケて、真矢みきさんは『個性的な男役』として人気が出るようになりました。
また、真矢ミキさんは『タカラヅカの革命児』とも言われていました。
1995年にトップスターに就任してからの活動はこれまでの宝塚には無かった事をたくさんやってきました。
写真集を発売したり、日本武道館でコンサートを開催するなど、それまで誰もやらなかった革命的な挑戦をしてきました。
それらの挑戦してきたことは、どれもその後の宝塚に引き継がれていきました。
それにしても、過去の誰もやらなかった事をやるのってとても勇気のいる事ですよね?
普通の社会人だとほとんどの人が前例の無い事はやらない様にすることが多いと思います。
そう考えると真矢ミキさんは新しい事にチャレンジする勇気と行動力があったのですね。
そして、真矢ミキさんが過去の宝塚にとらわれずに新しい試みをしてきた事が、まさに伝説と言われる所以だと思います。
真矢ミキは宝塚時代の伝説/男役だった?
真矢ミキさんは1981年3月に花組の男役として初舞台に出演しています。
そして1995年6月には花組のトップスターとして『エデンの東/ダンディズム』に出演しています。
真矢ミキさんは男役の大地真央さんに憧れて、1979年に宝塚音楽学校に入学しています。
そして1981年67期生として宝塚歌劇団に入団しました。
宝塚では何年かに一度スターを輩出する時期があり、67期はその時期でした。
でも、真矢ミキさんは宝塚音楽学校での成績が39人中37番の『劣等生』でした。
最下級生の頃、若手がアピールできる新人公演は成績順で役が付くため、全く呼ばれませんでした。
その頃は宝塚をやめたいと母親に相談した事もありました。
母からは反対され退団を踏みとどまりましたが、その翌年に『メイフラワー』の新人公演で主役に大抜擢してもらう事ができました。
新人の頃は現在の真矢ミキさんからは想像もできないような苦労をされて来たんですね。
それでもあきらめずに努力を続けてきた事で、現在のように多くの方を楽しませる女優さんになられたんですね。
真矢ミキさんのプロフィールをご紹介します。
生年月日 1964年1月31日
出生地 広島県広島市
身長 166cm
血液型 O型
職業 女優
真矢ミキの宝塚時代の同期は誰?
真矢ミキさんは宝塚歌劇団の67期生ですが、1981年に入団した同期生は39名です。
その中で特に有名な涼風真世さんと黒木瞳さんの二人についてご紹介していきます。
涼風真夜
月組トップスターの涼風真夜さんは『春の踊り』で初舞台をされて、その後は月組に配属されました。
1990年に月組トップスターに就任し、『ベルサイユのばら・オスカル編』でお披露目しています。
1993年に退団し、その後はテレビや舞台、映画に出演されて、アニメ『るろうに剣心』では緋村剣心(ひむら けんしん)の声を担当し声優としても活動されています。
声優をされている時は、剣を扱う場面で思わず体が動いてしまうので、必ずズボン姿でアフレコをしていたそうです。
涼風真夜さんは男役でしたが、演目によっては女性の役も演じられていました。
身長も高い方ではないので、女性役にも向いていたのかもしれませんね。
最近はライブスタジオで歌声も披露されていますが、涼風というお名前に合うとても澄んだ歌声ですよ。
一度ライブに行ってみたいなと思いました。
涼風真世さんについてはこちらもご覧になってください。
涼風真夜さんのプロフィールです。
出身地 宮城県石巻市
生年月日 1960年09月11日
身長 163cm
血液型 O型
職業 歌手、女優、声優、ナレーター
黒木瞳
月組トップの娘役で大地真央さんとコンビを組んでいた黒木瞳さんは1981年の入団時の成績が39人中3位と優秀でした。
1982年には月組トップ娘役に就任していますが、宝塚史上最速でのトップ就任でした。
これは先輩の大地真央さんが自分と似たような体格で度胸のある黒木さんに注目して、相手役にしたいと申し出た事で、最速のトップ娘役に就任しました。
黒木瞳さんは宝塚に在団中は娘役でありながらも大地真央さんに迫るほど人気がありました。
1985年9月に『二都物語/ヒート・ウェーブ』の東京公演を最後に大地真央と同時退団しました。
その後は芸能界に入り1986年公開の映画『化身』に出演し日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞。
その後、1997年交換の映画『失楽園』では不倫の恋を大胆に演じ社会現象になる程、話題になりました。
その後も数々の映画やドラマに出演されたり、『思い出のメロディー』(NHK)や『輝く!日本レコード大賞』などの司会も務めています。
2016年公開の映画『嫌な女』では監督デビューされています。
黒木瞳さんは宝塚での歌や踊りの才能を発揮されただけでなく、退団後も女優、タレント、司会者、映画監督と多才ぶりを発揮しています。
監督した映画では興行的には成功しなかった様ですが、今後どんな事にチャレンジしていくのか楽しみですね。
黒木瞳さんについてはこちらもご覧になってください。
黒木瞳さんのプロフィールです。
出身地 福島県八女市
生年月日 19610月05日
身長 163cm
血液型 A型
職業 女優、タレント、司会者、歌手、映画監督
今回は元宝塚トップスターの真矢ミキさんについてお伝えしました。
ここまで、読んで頂きありがとうございました。
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