大地真央は宝塚の受験でどうだったの?何組?どんな役?伝説があるの?

女優

大地真央さんは舞台やドラマ、映画、CMにも出ている女優さんです。

大地真央さんは宝塚歌劇団出身で月組のトップスターでした。

大地真央さんは宝塚での受験ではどうだったのか?どんな役を演じてたのでしょうか?

そして伝説となるエピソードがあったのでしょうか?

最近はアイフルの『愛はあるんか~』というCMで様々なバージョンで出演するなど、今でも活躍してますね。

今回は宝塚歌劇団出身の大地真央さんの気になる情報についてお伝えします。

大地真央は宝塚をすぐ受験できたの?

大地真央さんは芸能界にあこがれがあったのですが、最初は父からは猛反対されました。

ところが、お父さんの友達が宝塚のファンだったことから、「宝塚は安心して預けられる、いい意味で軍隊みんたいな学校」とお父さんに勧めてくれました。

大地真央さんのお父さんは元職業軍人だったので、友達の話を聞いて考えが変わりました。

そして「そんな宝塚だったら受けてみるか」となり、受験する事ができました。

受験が決まってからは、4ヵ月近く宝塚に入るためのレッスンを受けました。

レッスンでは片道3時間もかかるところに毎週土曜日に通って受験に望んだのです。

受験の時には1発で合格は無理だろうからと言われていたのですが、結果は1発合格を勝ち取りました。

宝塚に入ったのちに演出家の先生に合格した理由を聞きました。

先生は今がどうかでは無くて、将来の可能性を見ると言われたそうです。

現在の大地真央さんの活躍を考えると、その演出家の先生は人を見る目がある方だったんだなと感じますよね。

ところで大地真央さんのプロフィールは?

本名    森田真裕美
生年月日  1956年2月5日
身長    166cm
血液型   B型
出身地   兵庫県洲本市
職業    女優

今年でもう67歳なんですね、お若いですね。

大地真央は宝塚の何組?

大地真央さんは1973年に宝塚歌劇団に入団して9年目に月組のトップスターになっています。

宝塚には花組、月組、雪組、星組、宙組の5つの組があります。

そして、どの組にも属さずにその時々に各組に出演する「専科」があります。

その中でも月組は芝居が得意なスターを多く輩出しているので、芝居の月組と呼ばれています。

組制度は1921年からで、最初は花組と月組の2組の体制で公演を行ったのが始まりです。

全ての公演が組ごとに行われていて、組のトップスターコンビが中心になりそれぞれの組ごとに特徴や異なる魅力を楽しめます。

各組のトップスターが変わるごとに組の雰囲気が変わり違う魅力のある公演になります。

大地真央さんの舞台は斬新で面白いのが特徴です。

1984年公演『ガイズ&ドールズ』は大地真央さんが自ら企画を持ち込んだと言われるものです。

ブロードウェイで人気の舞台をリサーチして本場のミュージカルを日本で公演したのです。

この『ガイズ&ドールズ』は、大地真央さんの男役の魅力がとても発揮された舞台となりとても話題になりました。

自分で新たな公演の企画を考えるとは、やはり才能があると言われた大地真央さんらしいですね。

その才能が女優になってからも色々なところで発揮されて、今でも現役で活躍されているのだと思いますね。

大地真央は宝塚でどんな役を演じたの?

大地真央さんは入学して初めて宝塚の舞台を見た時に男役がいいと決めたようです。

女性が男の人生を生きるのは大変だけど、大地真央さん自身は面白いと思っていました。

そこから色々な工夫を重ねていき、男役像を目指していくことで男役のトップになれたと語っています。

これまで大地真央さんが舞台に出演した主な公演と役柄をご紹介します。

1976年
『ベルサイユのばらⅢ』 小公子役

1981年
『新源氏物語』     光源氏役

1982年
『あしびきの山の雫に』 大津皇子役

1984年
『ガイズ&ドールズ』  スカイ役

1985年
『二都物語』      シドニー役

などがあります。

大地真央さんはトップスターになる時に相手役に入団1年目の黒木瞳さんを指名しました。

月組のトップスターコンビだった大地真央さんと黒木瞳さんはファンが多くとても人気がありました。

大地真央さんと黒木瞳さんは学年が5年も離れていますが、とても仲がいいんです。

宝塚は先輩後輩の序列が厳格ですが、ある時、黒木瞳さんが先輩に泣かされてしまった時があったそうです。

それを見た大地真央さんが、黒木さんをドライブに誘って癒してあげたという事もあったくらい仲がよかったようですよ。

大地真央さんの相手を思いやるやさしさと人柄で、黒木瞳さんとの間に信頼関係がしっかりできていたのでしょうね。

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大地真央は宝塚でどんな伝説的なエピソードがあった?

大地真央さんには、宝塚時代にいくつか伝説になったエピソードがありました。

トップスターペアが一緒に退団

大地真央さんは男役としては華奢で小顔だったので、同じ様な体格の黒木瞳さんを指名しました。

二人がトップスターに就任したのが1982年8月1日で宝塚を退団したのが1985年9月1日と同じタイミングで就任、退団をしてます。

この事を宝塚用語では添い遂げ退団と呼んでいます。

トップコンビが同時に退団したのはトップスターが固定制になってからは初めてでした。

きっと二人には3年間の宝塚時代に培った固い絆があったのでしょうね?

男役のヘアースタイルに流行を取り入れた

宝塚では1980年代頃までは男性のヘアスタイルは黒髪の七三分けが基本でした。

大地真央さんは金髪や茶髪など派手な色や世間で流行していたヘアスタイルを取り入れていました。

当時の宝塚では、かなり斬新だったようです。

今では様々なヘアスタイルが当たり前になっています。

このきっかけは大地真央さんと言われています。

『風と共に去りぬ』の機関士役での爆笑事件

大地真央さんが下級生だったころに『風と共に去りぬ』の機関士役で出演することになりました。

ちょこっとしか出ない脇役でしたが、役をする以上はセリフがなくてもしっかり役作りをしようと、色々考えていました。

公演のたびに色々な機関士を自分なりに考えて演じていました。

そんな中で、老人の機関士の場合に頭の薄い人もいるだろうと考えました。

そのため禿げ頭のカツラを自分で作り帽子をかぶって舞台にでました。

そして機関士が帽子を脱いでお客さんに挨拶するシーンで、大地真央さんの頭を見た観客は大爆笑。

禿げ頭のカツラの事はみんなにも内緒だったので、当時のトップスターやタカラジェンヌまで、思わず吹き出してしまいました。

そんな大地真央さんがその後トップスターになったので、『風と共に去りぬ』の機関士役はスターの登竜門と言われているそうです。

大地真央さんの宝塚時代の事を調べてみたら、単にトップスターであるだけでなく、とても魅力的な方だった事がわかりました。

今回は宝塚歌劇団出身の大地真央さんについてお伝えしました。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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