今回は天海祐希さんの宝塚伝説の事について調べてみました。
天海祐希さんの宝塚時代のすごい伝説とはどんな伝説だったのでしょうか?
宝塚での同期には誰がいるのでしょうか?
そして、相手役には誰がなっていたのか?
天海祐希さんについてのみなさんが気になる事についてお伝えしてきます。
天海祐希の宝塚伝説が9件とは?
天海祐希さんには数々のすごい伝説があります。
それはどんな伝説なのでしょうか?
今も女優として第一線で活躍されている天海祐希さんの伝説についてお伝えいたします。
伝説1. 宝塚音楽学校に首席で合格していた
天海祐希さんは中学で演劇部に入部し2年生の時に担任の先生から宝塚入団を勧められていました。
それがきっかけとなり宝塚歌劇団への入団を志望するようになったんですね。
その後、菊華高等学校(現在の杉並学院高等学校)2年終了後の1985年に宝塚音楽学校にトップの成績で入学しています。
その時の合格倍率が20倍近くだったので、そんな中で首席で合格した天海祐希さんの優秀さがわかりますね。
さらに、面接試験の時に面接官から「もし落ちたらどうしますか?」と質問をされています。
その時に天海さんが言ったことは「もう二度と来ません」と応えたというエピソードまであります。
驚きですよね、なにかとっても天海祐希さんらしいなと感じませんか?
伝説2. 入団からわずか10ヶ月で新人公演主演に抜擢された?
天海祐希さんは1987年に73期生として宝塚歌劇団に入団しました。
初舞台は雪組公演『宝塚をどり讃歌/サマルカンドの赤いばら』だったのすが、その後は月組に配属されています。
そして1987年の月組公演の『青春の旋風~リトル・ヒーロー三四郎』の中で準主役のひとりであるブーン役に抜擢されたんですね。
年末公演の『ミー・アンド・マイガール』で入団一年目にして新人公演に初主演を果たします。
これは入団からわずか10ヶ月で主演に抜擢されていることになるのです。
宝塚歌劇団の新人公演は入団してから7年目までの若手だけで行われる公演です。
なんと、この公演に1年目の新人が主役を務めたという記録は過去から現在まで天海祐希さんだけなんですよ。
天海祐希さんの実力のすごさを表していますね。
伝説3. 6年半でトップスターに就任する
天海祐希さんは月組に所属していましたが、1993年に月組に所属して6年半でトップスターになりました。
宝塚で男役になるには、約10年かかると言われています。
あの大地真央さんでも月組トップ就任するまで9年かかっているんですよ。
天海祐希さんが男役のトップスターに6年半で就任した事がどれほどすごいことかわかりますよね。
伝説4. これまでの宝塚の伝統を変えてしまう
宝塚で退団する方はフィナーレで大きな羽を背負うことになっていました。
ところが天海祐希さんは羽を背負うのが嫌だと、背負わずにステージに上がりました。
宝塚で伝統的に行われてきた事をやらないなんて、かなり勇気のいる事ですよね。
でも、それをやってしまい、しかもそれが許される事を考えると天海祐希さんだからこその伝説だと思いますよね。
伝説5. 宝塚時代には全てのファンに平等に接していた
宝塚のファンは古くからのファンと、ファンになりたての方とでは格差があります。
天海祐希さんは退団する時にはファンクラブの方々全員に感謝の気持ちとして、同じワイングラスをプレゼントしています。
これは天海祐希さんのお父様の影響だと思います。
天海祐希さんはお父様からある事を言われていました。
それは「10円の飴玉をプレゼントしてくださる方も100万円の何かをプレゼントして下さる方もお前を思う気持ちは一緒。区別をしてはいけない。」と言われていました。
お父様の教えによってファンクラブの会員の方へは平等に全員にワイングラスを送ることをされたのでしょうね。
そんな素敵な天海祐希さんだなんて、誰でもファンになってしまうのではないでしょうか。
伝説6. 本当に大切なのは何かがわかっている天海祐希
宝塚でのフィナーレでは、まずファンに次に仲間たちに対して手を振るというようにファンを優先する習わしがありました。
ところが天海祐希さんは、最初に一緒に頑張ってきた仲間たちに対し手を振ったのです。
これは天海祐希さんが仲間たちと頑張ってきたからこそ、ファンを楽しませる事ができた。
その考えを大事にしているから、そのような行動をしたのだと思います。
これは何が本当に正しいのかを天海さんが考えての事だったのかもしれないですね。
伝説7. ファンに対しても正しく接している
宝塚では団員とファンとのお茶会が開催されるのですが。
天海祐希さんは、このお茶会でファンたちの動きが悪いとを注意をしたことがあります。
その理由は全てのファンとゆっくり話す時間を作るための行動だったのです。
ファンとゆっくり話す時間をとるために、ファンに変な気をつかうこと無くはっきりとした態度をとる。
いかにも天海祐希さんらしい素敵な話しですよね。
伝説8. おかしいルールを変えていた
宝塚には、髪の毛の短い男役が外を歩くときは髪の毛がはねないように何十本もピンで止める規則がありました。
天海祐希さんはピンは不要と考えて、ルールを変えてピンをつけなくていいとした事がありました。
この件について天海祐希さんが語っていた事があります。
それは、ピンをつけなくても良いとしたのが天海祐希さん一人では無かったという事です。
同期のみんなで、自分の後輩をどうやって指導するかという事を話し合う場がありました。
その時にこれはやらなくてもいいのでは?と思われるものを変えていくなどの指導要綱をつくったそうです。
その中にピン止めはやらなくていいという事を盛り込んだという事だったのです。
その事が語り継がれて、天海祐希さんが変えていったように伝わったのかもしれません。
その話は天海祐希さんより10年以上も後輩になる彩羽真矢さんが語っていました。
天海祐希さんの伝説的な話が、10年以上の後輩にまで語り継がれているというのはすごいですよね!
同期のみんなで話した事と言われていますが、天海祐希さんが在籍していた同期だからこその出来事ではないかと思いますよね。
過去から引き継がれた伝統に縛られてしまう事って、歴史の長い組織ではありがちですよね。
昔からの伝統って、変更するのってかなり難しいと思うんですが。
そんな伝統をみんなが本当にこうした方がいいと話し合って変えていったというのは凄いですね。
天海祐希さんらしい伝説ですよね。
伝説9. トップになって2年で宝塚歌劇団を退団?
天海祐希さんはトップスターに就任してから、わずか2年で退団しています。
あまりにも早い退団だったのでいじめが原因では?などと言われたりもしました。
ほんとうのところはわかりませんが、徹子の部屋で退団の事について語っていました。
月組の先々のスケジュールを見た時に、「2年後の12月がパァーと光った見えているような気がした」と語っています。
これって自分の将来について何か直観的な感覚でひらめいたのかもしれないですね。
だれでも人生の節目で直観的にこっちの方に行くべきだと感じたりする事ってありませんか?
もしかしたら天海祐希さんもそんなひらめきを感じたから、退団を決めたのではないでしょうか?
天海祐希の宝塚伝説が9件ある?/相手役は誰?
天海祐希さんの相手役で特に有名なのは麻乃佳代さんです。
その他には森奈はるみさん、白城あやかさんがいらっしゃったそうです。
麻乃佳代さんは74期生ですから天海祐希さんより1期下になりますね。
麻乃佳代さんは学生時代に涼風真世さんのファンで劇場にも頻繁に通っていました。
とても美人の方なのでファンの間でも評判になっていました。
その後、高校卒業後の進路選択の時に宝塚音楽学校の受験を決意。
バレエの経験も無ければ受験のためのレッスンも受けていなかったのですが、見事合格。
宝塚歌劇団に入ってからも涼風真世さんがトップスター就任と同時に月組のトップ娘役に就任していました。
その後、涼風真世さんが退団した後に天海祐希さんの相手役を務めるようになっているんですよ。
最初はいちファンだった麻乃佳代さんなのに、宝塚に入団しトップスターの相手役にまでなってしまうとは。
まさに、絵に描いたようなシンデレラストーリーですよね。
麻乃佳代さんは現在も舞台やテレビドラマなどに出演されて活躍されています。
天海祐希の宝塚伝説が9件ある?/同期は誰?
天海祐希さんは73期生として宝塚歌劇団に入団しています。
同期の方は全部で42人います。
同期には女優の絵麻緒ゆうさん、匠ひびきさん、歌手の姿月あさとさんなどがいます。
同期の中で特に活躍されていた方をご紹介しましょう。
匠ひびき 元花組トップスター
絵麻緒ゆう 元雪組トップスター
姿月あさと 元宙組トップスター
朝吹南 元月組娘役
五条まい 元雪組娘役
青山雪菜 元星組娘役
活躍されてた方がたくさんいますね。
今回は宝塚時代の天海祐希さんの事についてお伝えしました。
多くの伝説を作ってきた天海祐希さんは今やテレビで見ない日が無い位の人気者ですね。
それは天海祐希さんが女優としての実力だけでなく、天海祐希さんの考え方の影響も大きいと思いますね。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
天海祐希さんの結婚観について知りたい方はこの記事をご覧ください。
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